2.道(タオ)それは私とあなた、そして世界中を網羅する有機的なネットワークです

私が主催する気功教室の中の1つに、
中村橋教室というのがあります。

高齢のため、近頃はお見えになっておりませんが、
東京学芸大学で教鞭をとられておりました米津千之先生という方がおられます。

この先生、もともと折口信夫(おりぐち しのぶ)の文学の弟子であり、
また中村天風翁の晩年の弟子の1人でもあります。(天風会東京支部顧問)

93歳にして、気功をやってみたいと一念発起され、
いつも素足に下駄履き、ステッキを持った姿で、颯爽とやってきます。

何でも、
「折口信夫没後50年を弔うため、もう一度身体を鍛えたい。
 毎年師の墓前にお参りに行く弟子仲間が、
 1人2人と少しずつ欠けていき、
 とうとう2~3人になってしまった。
 このままでは、師の50回忌を自分も務めることができるだろうか...。
 というわけで、気功ならば無理な動きをすることもなく、
 健康によろしいという話を聞いたので、私も習ってみたい。」
とおっしゃり、お稽古の輪の中に、入ってこられました。

スワイショウなど、一緒にやっていると、あまりにも元気よく手を振られるので、
こちらも心配にはなりますが、本人は至って真面目。

反対に、自分が90を過ぎてこんなに元気でいられるのかなと思ってしまいます。
(またこの先生、自身はクリスチャンでありながら、専門は神道と国文学)

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ファインディングニモでおなじみの

カクレクマノミのタマゴ

さてこの米津先生がある時、
年の頃は25~6際の女性を連れてやってきました。
その女性を、仮に中野さんと呼ばせていただきます。

「この娘は、今心に病を抱えていてね。
私の知り合いの天風会で一緒に活動している女医さんから預かってきたんだよ。
ひとつこの娘が元気になるように気功を教えてあげてほしいんだ、よろしく頼む。」

「はい、私でよろしければ、一緒に気功を学びましょう。」

という経緯で、中野さんが中村橋気功教室に入ってこられました。

何回か通われるうちに、少しずつ打ち解けてきて、
中野さんも自分の身の上を話すようになってきました。

「どうして東京に出てきたんですか?」

「私はこの半年、心に悩みを抱え、それでネットで検索したところ、
 薬を使わずカウンセリングだけで病気の改善を図っているという方を見つけ、
 たまたま姉がこちらに嫁いでいたこともあり、
 しばらく治療に専念するために、東京に出てきました。
 ある時主治医の先生が、気晴らしにでも行こうと出かけたところで、
 偶然に米津先生と出会い、この教室に通うことになりました。」

「ああ、そういうことだったんですか。それでご出身は?」と尋ねてみたところ、

「九州の福岡です。」

「ああ、僕は大分県なんですよ、同じ九州同士とは、奇遇ですね。」

「実は私、大学を卒業して、大分で福祉関係の仕事についておりました。」

「ああ、大分も広いですからね、で、どのあたりにいたのですか。」
と尋ねると、何と、私の地元の老人ホームの名前をあげるではありませんか。
いやもう、びっくり。

「実は、私もそこの出身です。
 しかもその老人ホームの厨房で、母が食事を作っているんですよ。」

2人ともびっくり仰天、本当にこんなことってあるんですね。

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我が家の海水魚水槽

後日、母に聞いたところ、中野さんのことは存じているとのことでした。
母いわく
「何で、中野さんが東京にいるの?」

「いやまあ、中野さんも色々と事情があるようで」
と言葉を濁しつつも、このような不思議な巡り合わせもあるのだなと本当に驚きました。

現在、中野さんは、今故郷の福岡に帰り、自立への第一歩を踏み出しています。

また中野さんを中村橋の教室に連れてこられた米津先生も、
2年ほど前に、折口信夫没後50周年に無事元気な姿で参加されたとのことです。