~仏教用語:縁 幸せの方角2~

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

さて、昔から私と付き合いのある鈴木さん、
最近は、中目黒で月1回行なわれている坐禅の会に顔を出される。

「年が明けたら、谷中の七福神巡り(田端を出発して上野の弁天様まで歩く)を
 福本さんが企画しているので、今度ご一緒しませんか。」

坐禅の会の帰り道、お誘いを頂き、
私も谷中方面は初めてだったので、喜んで参加させていただいた。

「福本さんが、懇意にされている方の中に、
 作詞家の石坂まさを先生がいらっしゃり、
 その方の手がけている女の子(歌手:渡部やえさん)が、
 今度『ハイよろこんで七福神』という歌を出すんですよ。
 七福神を巡りながら、三箇所ぐらい歌の奉納をさせていただく予定になっています。」
と、鈴木さん。

「はあそうですか、楽しみですね。」


七福神巡りをしている途中、
歩きながら、福本さんとよもや話をしていると、

「『ハイよろこんで七福神』の歌詞を書いている石坂まさを先生は、
 比叡山の行者、赤山禅院の叡南(えなみ)さんと懇意にしているのですよ。
 一度京都に会いに行ってみないかと、石坂先生に、誘われているんです。」

「叡南さんは、今、
 京都の山科の毘沙門堂の御門主をされている方ですよね。
 実は、私も学生の頃、
 そのお寺で修行させていただいたんですよ、奇遇ですね~。
 今年の正月2日、テレビ東京で、
 仲間由紀恵主演の『寧々~おんな太閤記(ねね おんなたいこうき)』の中で、
 北政所が出家された高台寺の場面、
 あれも毘沙門堂の敷地が使われていましたよ。
 今年は何か毘沙門さんと縁のある年になりそうです。」

などと、話をしていたのが、つい2ヶ月ほど前のこと。

そこで、あの佛像の盗難事件のニュースを目の当たりにし、
驚天動地、晴天のへきれき。

毘沙門さんを介した、人と人との縁、
こういうことを合縁奇縁*4というのかな。
毘沙門さんを介して、何かの力が動いているんだなあ。


ところで、「縁」という言葉をよく耳にする。

「縁起を担ぐ」とか「縁起が悪い」など、
一般的に使われているが、

「縁起」とは、正確には「因縁生起」といい、
あらゆる物事や存在は、互いに影響し合っているという意味である。

「因縁」とは、因(結果を生じさせる「力)と、
縁(それを受けて助ける力)のことを言う。

因縁というと、心因的なものとして使われることが多く、
あまり良い意味で用いられない場合がある。

「因縁をつける」とか、
仏教の根本原理である本来の目的を逸脱した使い方をされる場合も、
多々見受けられる。

あらゆるものは、因縁によって起こり、
そして結末(結果)を迎える。

生があれば、死があるが如し。
その理を素直に受け入れることが、
佛教ではとても大切なこととされている。

その当たり前のことに、あらがうが故、
そこに苦悩が生まれる。

縁なき衆生は、度し難し。
人の忠告に耳を貸さないものは、救いようがない。

因縁をあるがままに受け入れた上で、
分をわきまえ、精進する。

このあるがままに受け入れ、
縁の持つ本来の力に身をゆだねたときに、
縁は思わぬ形で、私たちにそれはこういうことなのだよと、教えてくれる。

病になるには、原因があり、
それは、あなたの日常生活から起きたもの。

そして、病を克服できたのは、
あなたが今までの生活を改めて、その原因を取り除いたため。

心の悩みも、同じこと。

悩んでいる自分を、嘆くより、
その悩む自分も、自分であると認め、
あらがうことをやめれば、
本来の等身大の自分が見えてくる。

悩み苦しむことも、今の自分には、必要だったのだと、
認めることができたときに、
やっと心が軽くなる。


*4:合縁奇縁
   人と人との気心が、合う合わないということは、
   すべてこの世の中に存在する因縁による。


        ~以下、来週の28日(土)へつづく~