~佛教用語:坐禅2(自己観察のススメ)by koei~

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さて、先週、私の属している天台では、
坐禅のことを、止観と呼ぶということを述べた。

そこで少し、この止観のお話をすることにしよう。

禅の思想の発展は、
達磨禅(禅宗)と天台の止観とが二大潮流であり、
本質は変わらないが、その表現方法には、各々特長がある。

禅宗においては、不立文字、教外別伝を標榜している。
(禅の思想においての理論的な説明は行なわない。)

達磨大師は、六世紀の初頭、
インドから中国に渡り、禅を伝えられた。

天台の始祖天台大師(538~597)は、その後の生まれだが、
達磨禅とは、一線を画くし、摩訶止観十巻を中心とした禅書を著し、
仏教のあらゆる禅行法を座禅の行に統一された。

日本天台は、伝教大師最澄(766~822)によって創始され、
その教学を中国天台より伝承した。

そもそも止観とは、
 止(念を法界につなげること)
 観(念を法界と1つにすること)と定義されている。
少しラフにいうと、「心を留めて真理を観察すること」という意味。

そして、止観の実践として、禅定を組む。

禅定(ぜんじょう)とは、
サンスクリット語のディヤーナの音写(音をそのままの漢字に当てはめる)と
その意訳(意味を解釈し、意味にあった漢字を当てはめる)の定を合成してできた言葉である。

つまり智慧と真理に至るための教義を止観法門といい、
その実践を坐禅という。

止観と坐禅は、表裏一体であり、
優れた止観の実践方法を坐禅と位置づけている。

さて、比叡山を開かれた最澄さんは、
この止観という概念を教義の中心におき、
最初の堂を建てられた折には、
一垂止観院(いちじょうしかんいん)と名付けられた。

そしてまず始めに、その教義を止観業と遮那業の2つに大別し、
止観業:しかんごう(法華経を中心とした学科)、
遮那業:しゃなごう(大日経を中心とした密教学科)とされていた。

密教には、独特の修行法がある。 (ここでは、割愛いたします)

止観業では、
法華経を理解するにせよ、
他の天台教学を学ぶにせよ、
この止観を用いて学ぶべきであると考えられたのだ。

前置きは、随分と長くなったが、
比叡山における修行の中心に、この止観という考え方が重要視されていたのだ。

少々話は硬くなったが、一般の方には、
「自分の内から沸き起こってくる苦しみや悲しみ、辛さの原因を、
心を静めて、観る。観察することですよ。」と申し上げている。


        ~以下、来週の6月6日(土)へつづく~