~佛教用語:慈愛2(あの暑い1日を忘れない) by koei~

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

あれから何年経ったのだろう。

電車のつり革につかまりながら、
漠然と広告に目をやっていた折、
目に飛び込んできた、週刊文春の広告。

御巣鷹山墜落、坂本九、遺族が涙する「24年目のメッセージ」

「ああ、あれから24年も経つのか。
 あの日は本当に暑かったなあ。
 読んでみるかなあ。」

早速購入し、まず真っ先にそこから読んでみた。

ここからは、文春の記事を参照させていただく。



昭和60年8月12日 JAL123便が群馬県御巣鷹山に墜落
520名の尊い命が失われた。
その中に、坂本九さんがおられた。

私の年代では、実際に九さんの歌っている「上を向いて歩こう」や、
「見上げてごらん」をテレビやラジオで聞いていた。

透明で、ハスキーなあの歌声、
聞くものの心に染み通る、懐かしい昭和を代表する名曲である。

さて、九さんのご遺族である柏木由紀子さん、
小学6年生と3年生になる娘さんを連れて現場に向かい、旅館にて待機。
ご遺体が発見されたのは、それから1週間後のことであった。

3人がその後、事故の話を出来るようになったのは、
娘さんたちが、20歳を過ぎてから、
ようやくその話が出来るようになったという。

人が死を受け入れること、
それが、突然いなくなってしまったのだ。
愛する人の場合は尚更のこと、
時が癒してくれるのを待つしか、方法はないのだろうか。

さて、3人でパリに旅行したとき、ムーランルージュに入ると、
3人を日本人と感じた楽団の方が、「上を向いて歩こう」を演奏し始めた。

親子3人は、「アッ」と顔を見合わせた。

ヨーロッパに行った際も、レストランに入ると、
バイオリン弾きが、偶然「上を向いて歩こう」を弾いてくれる。

九さんは、もうこの世にいない。
しかし世界中で、九さんの歌は、演奏されている。
そして彼女の元に、
数年前から中学生より相次いで手紙が届くようになった。

「『心の瞳』を歌いました」という内容。
九さんは、事故の3ヶ月前に、
最後のシングル『懐かしき Love-song』を発表された。
そのB面に収められている曲が、
愛とは何かをテーマにした『心の瞳』であった。

テレビで歌われたことがないので、
私も初めてそのような曲が存在していることを知った。

この曲は、全国の中高生が、今、合唱曲として歌っているそうである。
一度聞いてみたいものだ。

学校の「道徳」の時間に、坂本九さんのことも、教えられていると聞く。

『上を向いて歩こう』がヒットしている頃、
北海道で、小児麻痺が急増したことを知った九さんは、
長年北海道でチャリティー番組の司会を続けておられたことや、
とても家族思いだったこと、
九さんの活動が、学校の授業で教えられていること、
『心の瞳』という曲が、全国の合唱団で歌われていること、
当の柏木さんご自身が、まったく知らずに、
色々な方からの手紙でお知りになった。

柏木さんが、ある学校に呼ばれたとき、
『心の瞳』の合唱の指揮をした男の子が、演奏後に、
「あの事故のことを知り、僕は飛行機の整備士になろうと思いました」
この言葉を聞いたとき、事故の後に生まれた子供たちのそんな言葉に、
自然と涙が溢れ出てきた。



そんな柏木さんの体験談が、文春に掲載されていました。
(この体験談の多くは、週刊文春よりの記事を掲載させていただいております)

私も文春に載せられてあった九さんと柏木さんご一家の記事を読んだとき、
胸がとても熱くなりました。

人の死は、悲しいものですが、
墜落機に乗っておられた方々のお1人おひとりにも、
たぶんこのような物語があるのでしょう。

死して後にも、
人々に感動を与え続けてくださる。

お亡くなりになった方々の物語は、これからも続いていきます。

あの夏の暑い日より、
この胸に突き刺さったままになっていた私のトゲも、
柏木さんや九さんの生き方に感動を覚えた今、
やっと抜け落ちてくれたようです。

人の生きることの素晴らしさと共に、
その方々が生きた証が、今でもこの世に感動を与え続けていてくれる。

そんな「慈愛に満ちた物語」に接することが出来たことに、感謝すると共に、
御巣鷹山にて、散って逝かれた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

注:慈愛…苦しみや悲しみを取り除く見返りを求めない仏の深い思いやりや慈しむ心を指す